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ともに歩む透析医療
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透析施設における災害対策を再考する~西日本豪雨を経験した岡山県の対応と課題~透析施設における災害対策を再考する~西日本豪雨を経験した岡山県の対応と課題~

西崎 哲一 先生/医療法人社団西崎内科医院 院長
草野 功 先生/医療法人福島内科医院 院長
阪神淡路大震災を機に透析施設の地震への対策が進んできました。また近年は台風など豪雨による水害への備えも求められるようになっています。災害対策本部を常設する岡山県の透析施設では、2018年7月の西日本豪雨の際も透析を円滑に継続することができた一方で、新たな課題もみえてきました。透析施設の今後の災害対策について、福島内科医院の草野功先生と西崎内科医院の西崎哲一先生にお話し合いいただきました。

阪神淡路大震災後に県レベルで災害対策
本部を常設し、年に1回の合同訓練

草野 今日は、自然災害に対してどのような備えをしてきたか、そして西日本豪雨の経験を踏まえ今後どんな対策が必要なのかについて、岡山県医師会透析医部会で災害対策本部長を務められる西崎哲一先生と考えていきたいと思います。

西崎 まず、県医師会に透析医部会を作り、さらに災害対策本部の設置に尽力された草野先生からこれまでの経緯をご説明ください。

草野 1995年1月に阪神淡路大震災が隣の兵庫県で発生しました。テレビ画面では透析患者さんの困った状況も映っており、何とかしなければならないと思いました。当時、私は岡山市の医師会長を務め、県医師会の役員でもあったので、県医師会会長とともに理事会に透析医部会の設置を提案しました。災害時には県内の透析施設が互いの利害を超えひとつになって、患者さんの透析を円滑に進める必要があると考えたからです。

部会が設置されてからは、西崎先生をはじめ多くの先生方と透析施設の防災について一つひとつ対策を積み重ねてきました。透析中に地震が起きたとき患者さんにつながっている血液回路をどうするか、どうやって止血をするかなど細かいことまで話し合い、患者さんへの教育も進めました。阪神淡路大震災では特に水が不足したので、透析施設に水が必要なことを水道局や自衛隊に説明し、電気も必要なので中国電力に電源の確保をお願いしました。薬剤や透析材料の供給については製薬メーカーや卸会社と話し合いました。1997年7月に透析医部会が発足してから22年経ち、今では県内67の全透析施設が加入しています。岡山は全国に先駆けて災害対策を講じてきたと自負しています。

西崎 透析医部会では災害対策について毎年2〜3回会合を開いてきました。そして部会に災害対策本部を常設することとし、毎年、被災したと仮定する施設を決め訓練を行っています。特に、災害時には災害対策本部に何とか自施設の状況を報告し、被災した施設・していない施設を短時間に把握できる仕組みを作り上げました。

草野 具体的にはどんな取り組みをしてきたのでしょう。

西崎 災害情報ネットワークシステムの構築が中心になります。各施設の防災担当者とその連絡先の確認、透析患者数の把握、透析施設防災責任者の会議の開催などを毎年行ってきました。透析医部会・県庁・岡山県腎臓病協議会の三者の連携を確認するための三者懇談会も開いています。

2018年7月の西日本豪雨のときは、前日から夜中にかけて大雨が降っており、西崎内科医院に常設している災害対策本部の担当者は災害情報ネットワークシステムを活用して早い時期から情報収集を開始していました。それでも岡山県内で一時的に透析ができない施設が発生する事態に陥り、透析医部会発足以来初めての体験で本当に驚きました。

情報ネットで「被災なし」の施設は把握
被災した施設からの情報が集まらず苦慮

草野 どんな状況だったのでしょうか。

西崎 7月6日、つまり倉敷市真備町などが浸水する前日の19時40分に、岡山県に大雨特別警報が出ましたが、災害対策本部ではそれより前の18時に災害情報ネットワークを立ち上げて、各施設に被災情報などの登録を要請しました。その時点ではどの施設からも「被災なし」という情報が上がっていました()。

翌7日の朝、真備町のまび記念病院が水害に遭っているとテレビで報道されており、100%透析はできない状況と考えられましたが情報が上がってきません。連絡がないので何かが起こっていると判断せざるを得ませんでした。院長に電話しても携帯電話の通信状況が劣悪でつながらず、固定電話もつながりません。ようやく理事長の村上和春先生とつながったときには、「目の前に水が溜まって海のようになっている。2階の透析室までは水は来ていないがもう駄目だろう」とおっしゃいました。そして「患者さんをよろしくお願いします」との依頼を受け、「私たちでできることは何でもします」と返答しましたが、この電話の後は携帯にも固定にも連絡が取れなくなってしまいました。

草野 7日は土曜日でした。その日に透析する患者さんはどうされたのですか。

西崎 被災していない施設が早くからわかっていました。また透析医部会では、毎年4月30日現在の県下施設の透析患者数を自主的に調べていますから、まび記念病院で診ている透析患者さんが約100人であることもわかっていました。したがって、まび記念病院で火・木・土に透析を受ける50人ぐらいの患者さんをどの施設に移動させるかという態勢は、素早く整えることができました。7日に患者を受け入れたのは、倉敷市の倉敷中央病院、しげい病院、杉本クリニック、そして西崎内科医院です。

しかし7日の時点では、まび記念病院から患者さんに連絡が取れませんし、患者さんも病院がどんな状況かわからなかったと思います。やがて携帯電話がつながるようになり、振り分けの情報がまび記念病院に伝わって、患者さんそれぞれに受け入れ先の指示をしたようです。西崎内科医院も受け入れ先になりましたが、私たちには来られる患者さんの名前はもちろん、どんなバックグラウンドの方なのかもわかりません。透析の基本的な条件はそんなに変わらないとはいえ、カルテが作れず困りました。

「手書きメモ」が患者対応で威力を発揮
システムの構築と関係者の自覚は車の両輪

表4:高齢透析患者の皮膚脆弱性

草野 厳しい状況になっていたのですね。

西崎 はい。まび記念病院が水没して2日間全く近づけませんでしたが、7月8日の日曜日には東京消防庁、DMATのヘリで入院患者12人を救助、搬送することができ、岡山大学病院、川崎医科大学附属病院、倉敷中央病院などで透析を受けることになりました。しげい病院も日曜透析を実施しています。

最も重要な情報となったのは、8日夕刻に病院からやっと“脱出”できた看護師が手書きで作成した透析患者さんのリストです。氏名や年齢、連絡先、現在の状態などが書き込まれていました。災害対策本部がある西崎内科医院に彼女がそのリストを持ってきてくれたおかげで、対策本部は一気に患者さんの情報を把握することができました。

「A病院に行った患者さんはこういう方で、確かにそこで透析されましたか、問題ありませんでしたか」。そのようなことを次々と私たち対策本部と施設の間で確認し、9日の月曜日の夜には、まび記念病院の透析患者さんが県内の18ヵ所で全員確実に透析できていることを確認できました。

災害時には短時間の透析を余儀なくされたり、透析の間隔を1日延ばされたりすることがありますが、今回の災害により他施設が受け入れた患者さんも通常の透析をきちんと終えていました。透析ができなかったために状態が悪化したり、亡くなったという方はいませんでした。

草野 我々の透析医部会が、災害が起こった地域、被災地の患者を受ける施設、対策本部と施設の連絡網を構築していたことが被害を最小限にしたということですね。

西崎 大きな災害が全国各地で毎年のように起こり、しかも多様化しているので、平常時に何も備えないことは許されない時代になっています。施設間、地域間の温度差をなくしながら、広域災害にもお互いに協力できるような体制を作っていく必要があります。

我々は2016年から、パソコンではなくスマートフォンを利用した情報ネットワークの構築を進め、2019年9月に全ての施設がこのネットワークに登録しました。現在は対策本部と施設、施設同士のネットワークですが、透析施設の職員、行政、機器や薬剤を扱う企業、行政とのコミュニケーションにも活用したいと考えています。

職員の安否を確認する実証実験も2018年から西崎内科医院で開始しており、西日本豪雨が本番となりました。4人の職員の自宅が冠水し全損しました。安否が気遣われましたが、そのうち3人からはかなり早い時期に「家はだめだが無事」という情報が入ってきました。ところが残る1人からなかなか情報が入ってこず、心配していましたが、やがて本人から、「慌てて避難したのでスマホを忘れ、避難先に水が来たので別のところに避難した結果、連絡が遅くなった」との電話が朝方に入ってほっとしました。この情報システムは有用だと思いましたが、活用するには普段からの訓練、一人ひとりの心構えも重要です。

西崎 哲一 先生/医療法人社団西崎内科医院 院長

情報の共有と活用には電源確保が不可欠
平常時のコミュニケーションが大前提に

草野 これまで災害対策というと、どうしても地震への備えが中心になっていました。西日本豪雨による水害を経験して、今後はどんな対策が必要になってくるとお考えですか。

西崎 まび記念病院は1階が水没しましたが、透析室は2階でコンソールなどに被害はありませんでした。透析ができなかった理由は、キュービクルという高圧受電設備と受水槽が階下にあり、これらが水没したため電気と水が途絶えてしまったからです。これからは地震だけでなく、水没のリスクを考えて施設の設計をすることが重要な災害対策だと痛感しました。

私たちは災害情報ネットワークシステムを構築するに当たり、パソコン、固定電話、携帯電話など何らかの方法で情報を汲み上げられると考えていましたが、被災した施設から全く情報が取れなかったことは予想外で、大きな反省点です。電源が途絶えた状態では何にもできないことを見せつけられました。現場まで出向いて情報をもらおうとしても、“水の中の孤島”となった状態ではそこまでたどり着けないのです。

今回はまび記念病院の看護師さんが手書きリストを持ってきてくださって本当に助かりました。電源が喪失することを想定し、紙のカルテなど何らかの情報手段を持っておく必要があるとしみじみ考えさせられました。

草野 功 先生/医療法人福島内科医院 院長

草野 これまでの災害対策は地震を念頭に置いていましたから、停電しても電源さえ復旧すれば透析施設は機能を回復できると考えていたかもしれません。断水しても、水道管がつながるまでは行政や自衛隊の協力を得て水を確保すれば透析は続けられると思われがちですが、多量の純水が必要です。今回もどれくらいの水が必要か問い合わせがありました。

西崎 本当に何が起こるかわかりませんので、電気や電話が途絶えても慌てない方法を考えないといけないと思いました。例えば、携帯電話がようやく通じても電池がすぐになくなってしまうなどです。各透析施設にはスマートフォンのフル充電が50回分可能な蓄電池を透析医部会から配布するようにしました。

ただ、普段から人と人とのつながりがないと、災害のときに連絡ができても実際の円滑な活動につなげることは難しいと思います。透析医部会で毎年実施する訓練はそういう意味で、施設間の人間関係を築くのに大きな役割を果たしてきました。

草野 先ほどお話しになった岡山県での透析医部会、患者さんの団体、行政(保健福祉部)の三者が毎年1回一堂に会し、防災だけでなく透析の現状や課題についてそれぞれの立場から対話することも、平時のコミュニケーションとして大切ですね。

西崎 患者さんに対する防災意識の啓発も必要です。

草野 岡山県腎臓病協議会の患者総会では毎年、透析中に災害、例えば地震が起きたときどうしたらいいか、災害時には最低限何を持ち出すべきかなど、災害に対する初歩的な事項を説明しています。

西崎 透析施設ではそれぞれ計画を立て、その計画に従って9月1日の防災の日に訓練をしてもらっています。西崎内科医院では患者さんの会が年に2回あり、そのうち1回に防災の話をして、避難場所、待ち合わせ場所、会えないときの連絡先などを決めておくよう説明しています。避難先では、飲んでいる薬がわかるだけで医療者は助かるので、メモ書きでもいいので持ち出せるようにという話もしています。

草野 避難先で迷惑をかけたくないから、透析治療を受けていることを隠す方もいると聞きます。

西崎 避難所には看護師や保健師などがいますし、避難所から透析施設に通うケースもあります。まず透析患者であることを隠さずに話し、協力してもらうよう説明しています。

草野 本日は災害時の透析施設の対応について、岡山県医師会透析医部会のこれまでの取り組みと、西日本豪雨でそれがどう機能したか、その反省をもとに今後どうしていくべきかというテーマでお話しさせていただきました。ありがとうございました。

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