東日本大震災発生時、私は名古屋で前立腺がんの腹腔鏡下手術の最中でした。手術が終わって戻った部屋のTVで、沿岸の町が津波にのまれる光景を目の当たりにしました。実は3月6日から2泊3日の日程で福島の須賀川でのロボット支援手術のトレーニングに参加しており、8日に名古屋に戻った3日後の出来事でした。それゆえ、福島に赴任することが決まったときには何やら因縁めいたものを感じたことを覚えています。
赴任5ヵ月前の2011年12月に、ロボット支援手術の若手の指導を目的に再び須賀川を訪れたのですが、郡山に降り立った際、人々が普通に歩いていることを意外に思い、TVなどの報道で得る情報の不十分さを認識しました。この状況は2012年5月に着任したときも同様で、放射線被曝の実態も理解しないまま、格好良く言えば使命感のようなものを抱きました。一方で小さな子供を持つ医局員数名が県外転出を予定していると着任前に聞き、衝撃と落胆を禁じ得なかったのも事実です。福島県はもとより泌尿器科医が少ないという問題を抱えていたのですが、震災がこれに拍車をかけました。したがって、震災後の福島県の医療を支えていく泌尿器科医を育成することが最重要課題となりました。まず、医局員の減少を補う必要があり、岩手医科大学や広島大学の協力を得ることができ、医師を派遣していただきました。
一方で、着任当時42歳であった私は、23年間という約四半世紀にわたる潤沢な時間が与えられるという幸運に恵まれていると考えるようになりました。講座としての目標を達成するために、23年というlong spanの戦略を立てることが可能だったわけです。
医局員に対して着任の挨拶を行った際、大学の重要な役割である診療・研究・教育の中で教育を最重視するという方針を明らかにしました。人材育成こそが私の仕事であり、これを信念として、医学生も含めて厳正に実行すると同時に泌尿器科の魅力を正確に伝えなければならないと肝に銘じました。当時の私は指導者として未熟でもあり、反発もあったかも知れませんが、今日までの9年間、柔軟性に富む若い医局員がついてきてくれましたし、おかげで私自身も少し成長できたと彼らに感謝しています。
学生教育について言えば、医学部3年生の泌尿器科の講義23コマ中の16コマを私自身が受け持っています。学生に顔を覚えてもらうことも目的のひとつです。また、実習を受ける5−6年生については毎朝、および水曜日午後3時からのカンファレンスに参加してもらい濃密な指導をしています。医局員には略号や英語の使用禁止、学生にも理解できるプレゼンテーションを求める一方、学生には質問攻めにしています。また泌尿器科の知識のみならず、治療に難渋する症例などについて意見や考えを聞くようにしています。技術的なことだけではなく、問題となる社会的要因や末期の患者さんへの介入方法などについて考えてもらうことで、医師を志す者としての心構えや思考を養ってもらいたい思いがあるからです。
分かり易い指導を目指している例としては、手術の執刀中に最初から最後まで、今どのようなことを行っているのか、学生に画を描いて説明するようにしています(写真1)。学生は手術を見学しているだけでは理解できません。手洗い不要なロボット支援手術だからこそ可能な指導方法と言えます。
実習最終日の総括の時間も大切にしています(写真2)。冗談も交えつつ3時間かけて行いますが、最後には必ず「医師とは何か」をテーマにディスカッションし、学生たちが医師となる自分について考え、医療従事者としての自覚を持ってもらうことを重要視しています。学生との交流には重きを置いていて、最近はコロナ禍で行けていませんが、実習終了後は学生を食事会に毎回連れて行きます。またラグビー部所属の医学部6年生の最終試合を山形まで観に行ったこともありました(写真3)。ラグビー部の顧問ではないのですが観に来て下さいと頼まれ、車で2時間かけて山形に行きました。余談ですが、私は「学生から依頼されたことは原則断らない」を信条にしています。医学部生にはきめ細やかに、時間をかけて接しています。着任したばかりのころ、医局員には「学生に関わりすぎるとかえって入局しない」と苦言を呈されたのですが、その後、このやり方で成果が上がるのをみて(ここ3年間に15人入局)、今では医局員の意識もすっかり変わったようです。
福島県では初期研修を大学病院以外の関連施設で行う研修医が多いことから、それらの施設にお願いして出張講義をさせてもらい、学生から初期研修医までの一貫した継続的な指導体制を整えています。
若い医師の教育も重要です。技術屋に甘んじるなというのが基本的な考えなので、カンファレンスでも物事を突き詰めて考えるように指導します。当然、かなり突っ込んだ質問をしますし時間もかかるので、医局員は厳しいと感じることがあると思います。学会発表に関する抄録原稿や発表スライドの作成についてもかなり綿密な指導を行っています。原稿やスライドの校正は5−6回が当たり前、リハーサルも同様です。論文にもすべて目を通します。私が添削すると大体真っ赤になりますが、一方的に直すのではなく、執筆者とman-to-manか、指導者を交えて3人でディスカッションしながら進めています。
国際学会にも積極的に参加してもらうようにしています。学会に参加するだけでなく、学会場の近隣にある知り合いの医師がいる病院で手術の見学をさせてもらうようにしています(写真4)。国際的な感覚が豊かな医師になってほしいため、その後の食事をともにすることもあります(写真5)。若い先生は喜んで参加してくれますし、現地の医師たちと英語でおしゃべりしながら楽しんでいるようです。
県内の高校にも出張講義に行っています(写真6)。「被災地福島県に生まれて育って医学部を目指すなら福島の医療に従事する義務がある」と、医学部進学を志望する高校生に対してはっきりと言葉にしています。このような出張講義を重ねた結果、先日医学部1年生の講義のとき、高校生のときに私の出張講義を4回聴いたという学生に出くわしたこともありました。これは嬉しい出来事として記憶しています。
男女共同参画にも力を入れています。組織には構成人員における多様性が不可欠と考えているからであり、男女のライフイベントに配慮したうえでの機会平等の実現を意識しています。あくまでも、その結果としてですが、女性の泌尿器科医が増えています。学生や初期研修医には女性ならではの泌尿器科の魅力や活躍の場について説明するようにしています。女性に対してはかえって負担をかけてしまうような過剰な支援にならないよう、個々の考えにも配慮した医局運営を目指しています。
手術には可能な限り立ち会い、自分でも積極的に執刀するようにしています。自分の技術を学生や若い先生に見せることも重要と考えています。ロボット支援手術を導入したのは2013年のことですが、2008年から2009年にかけ、ペンシルベニア大学とフィラデルフィア小児病院に留学していたときに学んだことが役立ちました。私の着任後、一気に手術件数が増え、手術件数が2.5倍になりました。若い医師は手術をしたがりますし、熱心にトレーニングを積んでいます。また、私自身毎朝のカンファレンスを通じて患者さんの状態を把握し、週4日の手術日には必ず患者さんのもとに足を運んで挨拶するという行動を欠かさないようにしています。私自身が手術やカンファレンスなど臨床の現場に積極的に立つことによって若い医師の信頼を得られるよう努力しています。
泌尿器科は守備範囲が広いのですが、第一義的にがんの手術ができることを医局員には求めています。そのうえでがん以外、具体的には腎移植、男性不妊、小児泌尿器、女性泌尿器、排尿機能障害などですが、いずれかをsubspecialtyとして最低1つは持つように指導しています。
地域医療連携システムの構築も図っています。例えば前立腺肥大症や尿路結石の手術を大学病院で行うことはありません。近隣の病院にこれらの患者さんを紹介し、そのかわりがん、腎移植、男性不妊症、女性や小児の泌尿器疾患を大学病院で紹介してもらうという形で、医療機関の機能に応じた診療分掌による医療資源の適正かつ効率的な活用を目指しています。
医師は基礎研究に偏りすぎてはいけないと思います。「臨床医は臨床研究を中心とすべき」というのが私の基本的な考えです。それも前向き研究で、臨床課題について一定の見解を示すことが重要だと考えています。福島県立医科大学泌尿器学講座には、当講座の伝統でもある排尿機能研究に加え、腫瘍、小児・アンドロロジー、腹腔鏡・ロボット支援手術の4つの研究グループがあります。それぞれのグループが関連病院を巻き込み、前向き臨床研究の実現に向けた月例勉強会を開催しています。中心となっている医師の若さから来るモチベーションの高さ、同級あるいは先輩後輩の間柄で構築されたネットワークが意欲的な取り組みにつながっているようです。
臨床研究の柱のひとつであるロボット支援手術については、前立腺全摘除術後の尿失禁防止を目指した術式の開発をテーマに挙げています。これまでに経験した700例のデータを搭載したデータベースを活用し、術後尿失禁の危険因子の抽出と回避方法を研究しています。この9年間で既にロボット支援手術に関する研究論文20報が英文誌に掲載されました1)-10)。
また昨年の第27回日本排尿機能学会では、松岡香菜子助手らが利尿適応性障害という新たな疾患概念を提唱し、その病態解明が過活動膀胱などの蓄尿障害の新しい治療アプローチの開発につながる可能性を示しました。また糖尿病内科や産婦人科とは低活動膀胱、循環器内科とは睡眠時無呼吸症候群と夜間頻尿に関する診療科横断的共同研究を赤井畑秀則講師を中心に進めています。また片岡政雄講師は女性泌尿器科を専門としており、MRIを用いて尿道の形態学的な変化を観察することにより骨盤臓器脱術後成績の予測因子の同定に成功しています。
あくまでも主役は臨床研究という前提ですが、基礎研究も疎かにせず、ここでも物事を突き詰めて考える癖を身につけることを目的として、若い医師を中心に奨励しています。秦淳也学内講師を中心に行っている前立腺肥大症モデルラットを用いた網羅的遺伝子発現解析11)や、前立腺肥大症が自己免疫疾患である可能性を見いだした、前立腺増殖機構に関する免疫学講座との共同研究がその事例です12)。また、微生物学講座との共同研究で、前立腺内の微生物や腸内細菌と男性下部尿路症状との関係について、本田瑠璃子助手が研究を進めています。それ以外にもさまざまな排尿機能障害の基礎研究を進めています。最近の若い先生はがんの基礎研究に興味を持つ先生が多く、東京大学医科学研究所などに大学院生を国内留学させて勉強させています。さらに、小児泌尿器科領域では佐藤雄一助手と胡口智之助教が先天性疾患である尿道下裂13)や停留精巣の発症に関係する遺伝子の同定に関する研究を行っています。
本学では核医学診断あるいは治療を柱のひとつに位置づけています。その一環として当講座でも星誠二助手を中心に68Ga-PSMA-PET-MRIによる前立腺がん診断に関する前向き研究を特定臨床研究として計画しています。この研究が、将来的にはα線放出核種アスタチン-211を標識したPSMAを使った放射線治療の開発につながればと考えています。
原発事故の健康被害に関する科学的根拠のない情報をよく目にします。本年1月に、環境省主催のWeb会議で講演する機会をいただき、福島に対していまだに残る差別、偏見、健康被害についての誤解を科学的根拠のない情報がいかに助長するかという問題を提起しました。環境省は、福島に関する正確な情報の伝え方を主題とした「健康リスク・コミュニケーション・プロジェクト」を立ち上げており、この4月から小川総一郎准教授が医系技官として環境省に出向します。私自身も風評被害を払拭すべく、あくまでも科学的根拠を正確に伝えるという姿勢で微力ながら貢献したいと思っています。
上述しましたように、教育と人材育成を最重要課題として、23年というlong spanでこれを着実に進めていきたいと考えています。
当医局のメンバーの集合写真で明らかなように、若い医師が大半を占めています(平均年齢33歳:写真7)。若い医師は手術が好きで積極的に行っていますし、腹腔鏡下手術やロボット支援手術はモニターでの観察が可能であるため、手技の習得もわれわれの時代とは桁違いに早くなっています。さらに、泌尿器科医が少ないということが逆に功を奏し、首都圏の同年代と比べると何倍もの手術経験を積むことが可能です。例えば、登竜門的な手術である経尿道的膀胱腫瘍切除術(TURBT)の症例経験は、3年目の医師で150件を超えています。腹腔鏡下手術を年間40例執刀したという、専門医を取ったばかりの若い先生もいました。このような経験に裏打ちされた自信がモチベーションの向上につながり、さらに積極的に診療に臨むという相乗効果を生んでいます。これが当講座の強みです。また若い先生が関連病院から週に1回大学に研修日として勉強に来ていますが、そのことが強力なネットワークの構築に役立っています。
福島という地方にあって、原発事故というハンディキャップを負っていることは事実ですが、国際感覚を持つ一流の泌尿器科医を育てながら、大学と関連施設間のネットワークをさらに強固なものにするという目標に向かって、後14年間、県の泌尿器科医療のbuild-upに最大限の貢献をしていきたいと考えています。
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