佐賀大学医学部附属病院では、術前の中止忘れ並びに術後の再開忘れを防ぐために「術前中止薬管理webアプリ」を開発した。開発に携わった医療安全管理室と横断的止血・血栓診療班の先生方に、術前中止薬管理webアプリの開発の経緯とその有用性についてお話を伺った。
副室長 専従薬剤師
薬剤部 医薬品情報室 係長
手術予定の患者の抗血栓治療薬の中止忘れによる入院の取り消しや手術の延期などが発生し、全国の医療機関でも課題となっている中、佐賀大学医学部附属病院でも同様の事例が散見され、医療安全管理室の議題に上がってきました。
「抗血栓薬が中止されていないと、スケジュール上の問題だけではなく医療安全の観点からも患者さんの不利益となります。また受け入れる病院側も、入院前には多くのスタッフが入院のための手続きや検査、問診などを行っているため、それが無駄になってしまうこともあります」。副薬剤部長であり医療安全管理室の副室長も務める木村早希子先生は、術前中止忘れの問題点をそう訴えます。
「術前中止薬管理webアプリ」(以下、アプリ)の開発が始まった2017年当時、術前中止薬に関するガイドラインは消化器内視鏡学会など一部の領域だけで整っており、他の領域では新たな策定、改訂が行われたりしている時期でもあり、同院でも院内のガイドラインの見直しが課題となっていました。
循環器内科の夏秋政浩先生は、「私が当院に赴任した3年前までは院内に特に決まり事がなく、それぞれの医師が個々の患者さんのリスクを考慮して抗血栓薬の術前休止を行なっていたのだと思います。麻酔の方法によっても出血リスクは変わってきますので、麻酔科医への相談も必要になりますし、私も循環器の患者さんが手術を受ける際に執刀医から相談を受けていました。つまり人手も時間もかかっていたということです」と当時を振り返ります。
さらに同時期に、凝固異常症例の把握、抗血栓薬の診療支援、術中止血機能のモニタリングなどを目的に、複数の診療科や部門のスタッフで構成される「横断的止血・血栓診療班」が結成され、その第一の取り組みとして医療安全管理室と共同でアプリの開発が行われることになりました。
アプリの開発は、横断的止血・血栓診療班のメンバーであるさまざまな領域の専門医から術前中止薬に関する情報を収集、データベース化に始まり、同時にプログラムが検討されました。2017年11月に第1回の診療班会議が開催され、そこでアプリの具体的な動作や運用を検討し、休薬情報についても改めて専門医が確認し、プログラムに落とし込んでいきました。
でき上がった第1版(図)は対象薬剤が約25成分(後発品や配合剤を含め75品目)、出血リスクは術式、麻酔、消化管内視鏡の3分類となっています。対象薬剤の投与目的である血栓リスクについては、はじめは脳梗塞と冠動脈疾患、心房細動の3分類だけでしたが、血液内科が専門で医療安全管理室副室長を務める吉村麻里子先生の「静脈血栓塞栓症は必須」との意見から追加され、4分類となりました。また、循環器内科からの要望で心房細動の塞栓リスクを評価する『CHA2DS2-VAScスコア』も追加し、その点数が血栓リスクの結果に反映されるようになっています。
アプリの結果にはすべて根拠となる出典が表示されますが、出血リスクと血栓リスクの休薬判断が矛盾する場合は、処方医および専門医にコンサルトを促す注意書きも表示されます。「薬剤によっては添付文書や適正使用ガイドに記載の休薬情報と臨床との間に乖離があるものがあります。その情報のギャップを埋めて患者さんの不利益にならないようにしなければなりません」と、アプリの対象薬剤を管理する医薬品情報室の江本晶子先生は話します。
アプリの操作性については、薬剤、血栓リスク、出血リスクを順に選択すれば休薬情報の目安が数分で表示されるという簡便な方法が採られています。画面表示もユーザビリティに配慮し、少ないスクロールで結果が表示され、必要な情報が見落とされることがないように作られています。ただし、必要な情報を無理に1つの画面に入れると逆に視認性が悪くなることがあるため、その際はリンクやポップアップ画面などの工夫もされています。
さらに、アプリのユーザーが意見や質問を入力する欄も設けられています。その中で、抗血栓薬だけではなく分子標的薬にも出血リスクが高くなる薬剤があるとの意見があり、改訂時には追加する予定となっています。
アプリを使用することで、術前の中止忘れは手術件数に対する発生率で、導入前(2016年9月〜2017年8月、n=6,652)0.18%から導入後(2018年9月〜2019年8月、n=6,894)には0.09%(p=0.1359)に、術後の再開忘れは0.20%から0.02%(p=0.0008)と、再開忘れにおいて有意な減少が認められました(Fisher's exact test)1)。
アプリを使用することで中止や再開忘れが防げることは明らかになりましたが、課題もあります。血栓リスクと出血リスクの両方が高い場合など、矛盾する結果が出た場合です。試験運用の際に、薬剤によっては95%がアプリだけでは判断ができなかったという結果が出ています。そのような場合は休薬情報の画面のトップに専門医にコンサルトを依頼するように注意書きが出るようになっています。「当アプリは2020年中に院外配信することを予定していますが、最大の懸念はアプリの結果だけを見て安易に休薬を決められてしまうことです。血栓・出血両方のリスクがあることを理解していただき、矛盾するような場合は専門医の意見や十分な検討を前提にこのアプリを使っていただきたいと考えています」(木村先生)。
吉村先生は「以前は術中の出血リスクに重きを置き、十分な休薬期間をとっていましたが、最近では出血と血栓のリスクを天秤にかけながら直前まで抗血栓薬を飲んでもらう方向に変わってきています。コンサルトすべきことがわかれば、却って専門医にも聞きやすくなるのではないでしょうか」と前向きにアプリの可能性を示唆します。
アプリは若い薬剤師や専門外の医師、医・薬学生などへの教育も視野に入れて開発されています。「アプリを使うことで、どのような患者さんに血栓リスクがあるのか気づいたり、追加予定の分子標的薬に関しても血栓リスクが潜んでいることを知ってもらったりするきっかけになればと思います」と話すのは吉村先生。夏秋先生も、「追加してもらったCHA2DS2-VAScスコアにしても、専門外で知っている医師は多くないと思います。その項目を確認することで何が血栓リスクになるかがわかります」と専門医の立場からアプリに期待を寄せます。
術前中止や術後再開の忘れは医師側が適切に指示できていない場合と、患者側が休薬を理解していない場合があります。「保険薬局では、患者さんの手術予定などがわからないため、抗血栓薬を服用していても術前中止の確認をすることができず、一包化された薬をそのまま患者さんが服用してしまうかもしれません。このアプリで薬局薬剤師が術前中止薬について知識を得ることで、患者さんへの声かけなどが変わってくるのではないでしょうか」と江本先生は、薬局薬剤師の行動変容にもつながる可能性があると指摘します。
「現在は抗血栓薬だけですが、分子標的薬や、さらに糖尿病治療薬も追加する予定です。広く配信しさまざまな職種の多くの人に使っていただければ、術前中止についての意識も高まり、医療安全につながるのではないかと考えています」と木村先生は、このアプリの配信により、医療者の連携と医療安全につながると展望します。すべてのケースをアプリで完結できるわけではありませんが、より安全な医療、医療者間の連携、医療者と患者のコミュニケーションなどに有用に働くツールとなることが期待されます。
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