札幌医科大学附属病院では2003年12月に、性同一性障害(GID:gender identity disorder)に対して包括的診断・治療を実施する国内3施設目のGIDクリニックを開設しました。以来、北海道内に在住する約700人のGID患者のサポートに取り組んできました。
同院が全国に先駆けてGID診療を開始したのは、泌尿器科学講座教授の舛森直哉先生の外来を、あるFtM(後述)のトランスジェンダーが受診したことがきっかけです。「2002年11月のことでした。当時、性同一性障害という言葉は知っていても診療の中身は何もわかりませんでした。しかしその患者さんが切々と訴えるわけです。精神科、婦人科、泌尿器科などさまざまな診療科を回ってもどこも自分を診てくれない、門前払いされると」。舛森先生はGIDに関する当時の医療状況をこう振り返ります。
そこで先生はGIDに関する国内の診療の歴史と状況を調べ(表)、札幌医科大学においてもガイドラインに則ったGID診療体制を整備するべきだと考えました。「当時の泌尿器科学講座教授だった塚本泰司先生(現理事長・学長)を委員長に、神経精神科学講座、産科・周産期科学講座、形成外科学講座とともに性同一性障害判定治療委員会を構成し、その設立および診断と治療の実施に関する審議を倫理委員会に提出して、半年間の審査を経てGIDクリニックを開設しました」と先生は診療開始に至る経緯を語ります。
ここでGIDについて整理すると、GIDとは、身体的性別と性の自己意識や自己認知が一致しない性別違和のあるトランスジェンダーのうち、何らかの医学的介入を必要として医療機関を受診し診断が確定した場合をいいます。主症状は、自分の身体の性を強く嫌い、反対の性になることを強く望んでいることで、日常生活では望む性の役割をとろうとします。身体的性別は女性で心の性が男性である人をFtM(female to male)、その反対の場合をMtF(male to female)と呼びます。日本精神神経学会の全国調査1)では人口10万人あたりFtMは17.6人、MtFは10.2人と推測されており、決して稀ではないことがうかがえます。
最近の動きとしては、WHOが改訂中の国際疾病分類ICD-11において、その名称がgender incongruence(邦訳は「性別不合」の予定)と変更され、その概念も「障害・疾患」ではなく「性の健康を保障していくうえで医学的な対応が必要になることのある状態」に変わってきています。WHOでは2022年1月にICD-11を正式に発効する予定で、日本においてもGID(性同一性障害)学会を中心に「性同一性障害」という言葉を使用しない方向で検討が行われています。なお、近年は「LGBT」という言葉が普及してきましたが、L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)とは、性別違和とは異なり性的指向を示す用語です。
こうした背景がある中、同院のGIDクリニックでは「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン第4版」にしたがい診断と治療を行っています。「一人の医師が独自の判断で性別適合手術を実施し、罪が問われた1970年のブルーボーイ事件(表)の反省を踏まえ、ガイドラインではチーム医療を基本としています。当院においてもGIDの診断と治療に理解と関心があり、十分な知識と経験を持つ精神科医、泌尿器科医、産婦人科医、形成外科医、乳腺外科医がチームを組んでいます」(舛森先生)。
GID診療の流れは図のとおりです。診療の受付窓口は精神神経科で、郵送で受け付けた後3ヵ月ごとに抽選を行います。「GIDに理解と関心を持ってくれる精神科医が足りない現状があり、この診療の要となるだけに患者数を増やすことができないのです。これは当院に限らず全国的な課題であり、受診したくてもできないGID患者さんが巷にはあふれています」と先生は診療の実態を打ち明けます。その結果、海外の医療機関やガイドラインに基づかない診療を行う医療機関で治療を受ける患者もいるといいます。
診断の確定は2ヵ月に1回開催されるGIDクリニックの性別判定会議で行われます。この会議に先立って、ジェンダー・アイデンティティーと身体的性別の判定が行われます。ジェンダー・アイデンティティーの判定は精神科医が受け持ち、養育歴、生活史、性行動歴などを聞き取り、性別違和の状態を明らかにしていきます。身体的性別は染色体検査、ホルモン検査、内性器や外性器の診察・検査による判定で、原則としてMtFは泌尿器科医、FtMは産婦人科医が担当します。そして除外診断を行ったうえで、性別判定会議でジェンダー・アイデンティティーと身体的性別が一致しないと総合的に判断されると、GIDの診断が確定します。
一方、治療は精神的サポートと身体的治療に大別されます。「身体的性別を望む性自認に近づけることが治療の原則ですが、身体的治療の実施範囲は人それぞれです。患者さんはいずれの治療も順番を問わずに受けられるため、よく話し合ったうえで治療内容を決め、看護師や法律家、一般人を代表して事務職員なども加わり多職種で構成されるGIDクリニック専門部会による治療計画の審査・承認を経たうえで治療していきます」(舛森先生)。身体的治療にはホルモン療法、乳房切除術、性別適合手術の3つがあり、このうち泌尿器科ではホルモン療法と性別適合手術を行っています。
またガイドライン第4版では、小児に対する二次性徴抑制療法が初めて記載され、全国的にも症例数が増えているといいます。「これはTanner2度(思春期の開始)以上の二次性徴を起こしていて、この発来に著しい違和感がある子どもに、GnRHアナログを投与して二次性徴を止めたうえで性別違和の状態を観察し、持続する場合には望む性別の性ホルモンの投与に移行します。ホルモン療法は不可逆的治療であるため、観察期間を設けることが望ましいのと、MtFの場合は、二次性徴が完成した後にホルモン療法を実施しても望む性別の外見に近づけることが難しくなるため、こうした対応が検討されています」と先生は二次性徴抑制療法の狙いについて説明します。
近年は教育現場において学生服のジェンダーレス化などの配慮が行われ、性別違和に対する理解も進んでいますが、思春期前にタイミングよく二次性徴抑制療法を実施するには、教師、保護者などへの働きかけと支援が重要だと先生は指摘します。
さらにGIDの身体的治療で注目されるのは、2018年4月から乳房切除術と性別適合手術が健康保険の適用となったことです。ただし、それは施設要件を満たした認定施設で手術を受けた場合に限ります。2021年6月現在、認定施設は同院を含め全国に6施設です。しかし舛森先生は、「残念ながら、当院はこれらの手術を健康保険では行わない方針を打ち出しています。というのも、身体的治療に欠かせないホルモン療法が健康保険の適用になっておらず、手術を健康保険で行うと混合診療になってしまうからです」といいます。
舛森先生たちはこの状況を打開するための方法を検討しましたが、いずれも医学的エビデンスがないという理由から実現が難しいことがわかりました。「エビデンス構築には臨床試験が必要です。しかし、身体的治療のゴールにはさまざまな因子が絡んでいることから、基準にしたがった統一的な治療の評価ができず、試験のエンドポイントを設定するのはとても難しいのです」(舛森先生)。
特例法によって戸籍を変更するには性別適合手術が欠かせず、患者も医療者も難しい判断と選択を迫られます。人権や法的な問題も複雑に絡む中、舛森先生は泌尿器科医として、性別適合手術をはじめ身体的治療の質を向上し、患者が望む性別にできるだけ近づけ、“生きやすさ”を支援することに注力するしかないと言い切ります。「そのためにはGID診療に意欲のある後進を育成していくことが不可欠です」。
19年前、一人のトランスジェンダーの訴えから始まった札幌医科大学附属病院のGIDクリニック。難問が山積する中、これからも性別違和に苦しむ人たちの一筋の光となり、その存在意義を示していくことでしょう。
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